湯治場の人間がいくら「湯治」を語っても、実際体験した人の言葉には及びません。旅館大沼で実際に湯治をされた方の「湯治初体験記」じっくりお読みください。湯治の情景がよく伝わってくる投稿文です。

「湯治告白」   尾崎 祐子さん

湯治に来た本当の理由

 「湯治日記」をまとめていると、まるで湯治経験前と後では「使用前/使用後」ほどに違う、自分の気持ちと身体の変化に改めて驚く。
 身体のアトピー傷は魔法のようには消えないけれど、いつも粉を吹いていたような顔には自然のツヤが戻ってきた。体調も良く、身体は軽い。あれほど苦手だった半身浴も自宅で実行できるようになった。夜もぐっすり眠ることができる。明らかに身体が変化しているのがわかる。
 そして心は・・・。これについては湯治に来た本当の理由を告白しなければいけないかもしれない。

なんで自分は湯治を選んだのか

 今、改めて湯治へのきっかけを思い出している。・・・わずか小1ヶ月前の自分の心情に立ち返るのが思いのほか辛い作業だ。辛い作業だけれど館主さんがどうしてもと言うので(言ってませんか)、湯治に来る以前の自分の気持ちを、湯治に来た本当の理由を掘り起こしてみることにした。
 社長に休暇をもらった私は、湯治に行くというより「湯治に逃げてきた」という方が正しいかもしれない。現在の私は、解決できない人生上の問題や日夜胸を締め付けるような悲しみ、苦しみを抱えているわけではない。病気や離婚など、それなりの挫折を人並みに経験し・・・父や母や周りの人に助けられながら自分なりに解決してきた。
 だから今の自分がある。
 今は起こったことすべてが愛おしいと思える程、挫折の経験は自分の糧となっている。しかも現在の私は、父の病気がきっかけで妙なる縁に引き寄せられ人生の師と呼べる人に巡りあい、その人の下で充実した幸せな日々を送っている。

それでは私は何に逃げたのか

幸せな生活の中で、ある小さな疑問がいつしか私の中に生まれた。なんで私はこの世に生まれてきたのか、その答えが欲しい。私は自分の存在理由を知りたくなった。
 料理人が言う。「料理は自分自身です」
 歌手が言う。「歌は私を表す手段です」
 「私は、○○です」と呼べるものが欲しかった。私は焦りはじめた。しかし決して日常はそんな「焦り」の感情に潰れていたわけではなく、あくまで忙しく学ぶべきことは山ほどあり、師匠は岩のように厳しく、そんな生活に満足していた。
 けれど私の存在にそっと語りかけるようなその「焦り」は緩やかに襲いかかり・・・ある日突然、本当に突然アトピーが再発し、私は一歩も外へ出られなくなったのだ。その独特の痒さは必ず深夜に出現し、安らかな眠りは奪われ、明け方から昼すぎまで眠るという不健康な生活が始まった。
 アトピー発病は私の日常を一時的にご破算にするきっかけだったのかも知れない。ゆっくり考える時間が必要だったのかも知れない。
 「またアトピーに逃げ込んだな、何か問題があると病気に逃げ込む。今までそんな人生を送ってきたんだろう」そんな厳しい言葉とは裏腹に、長期の休暇を与えてくれた師匠(社長)の愛情に感謝しつつ・・・こうして私は湯治に逃げてきた。

なんで「湯治」だったのか

 理由は単純。温泉に入っては本を読む。そんなシンプルな生活にただどっぷりと漬かってみたかったのだ。そんな生活で自分の「焦り」から解放されたかった。到底2週間たらずの湯治で何かしら答えを見つけられるという期待は正直言ってあまりなかった。
 あともう一つ理由がある。アトピー治療としての湯治を私は絶対的に信用していた。
 十数年前の忘れられない出来事がある。私はその頃救い様も無い重症のアトピーだった。顔の皮膚は溶けて流れ落ち、真っ赤に焼けた身体からは無気味な湯気が立ち込める異常な状態が半年も続き、人間としての感情も薄れていた。唯一、風呂に入るという行為、皮膚を液体に浸している時だけが安らぎだった。病院の治療でなく、薬でなく、入浴によって救われた、ということが根強く心に残っていたのだ。
 だから湯治を選んだ。

湯治からの贈り物

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