人生は皮肉なものです。平成元年ようやく旅館の方向性が見え始めた矢先、私にとって人生や命というものを根底から見つめなおすことになる出来事が襲いかかります。それは、当時まだ20才そこそこで、女性にとって一番可憐で花のような時期を過ごしていた、たった一人の妹に対する「ガンの宣告」でした。この突然の出来事に私はもちろんのこと、家族は一気に暗闇に突き落とされました。「なぜ、あの子がガンに?」「誤診では?」。私たちは、あまりにも冷酷な事実を前に、現実を認めたくない思いと、「本当だったらなんとかしなければ、でもどうしたら?」という自分達の無力さの間で立ちすくむしかありませんでした。そして私達は彼女に対してありとあらゆる手段をもって不治と呼ばれている病と闘いましたが、平成5年の記録的な冷夏の7月、妹は5年間という闘病生活のすえ、ついに帰らぬ人となってしまいました。私は妹の病が発見されてから、最後の最後まで望みは捨てずに健康に関することの情報を集め、ひたすら実践しました。昔からの民間療法や今で言う代替医療も人づてで聞いたことをやってみたり、高額な健康商品を買ったり、しまいには宗教団体まで紹介されたりもしました。私は妹が良くなってくれさえすればいいと思い、わらをもつかむ思いでその全てを試しました。また自分なりにも、妹を苦しみから救ってやりたい一心で哲学書や宗教書もむさぼるように読み、あるかもしれない答えを探しました。確かに、そういったものに触れている間は、素晴らしいことも書いてありますし、なんとなく気もまぎれます。しかし結果的には、そういったことは彼女にとって何一つ役立つことはありませんでした。人には自ら命を絶つ人もいれば、死にたくなくても病で死んでしまう人もいる。不治と言われながら直ってしまう人もいるし、結局病に勝てずに終わる人もいる。同じことをしていても、同じ結果がでるとは限らない。普段は考えることもない人生・人間の深淵に問いかけ続けた私の5年の結論は、奇しくも私が見出した温泉の本質と結びつくのでした。