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宮城県東鳴子温泉「現代の湯治場づくり」

「縁台なる計画」 in 東鳴子
2004 年 5 月 15 日 至 青年の山〜東鳴子温泉街

2004 年 5 月 15 日、快晴の空の下、東鳴子温泉街の空き地を使い、東京の縁台美術家荒野真司氏を迎え縁台作りワークショップ名づけて「縁台なる計画」が行われました。

残雪残る山での初めての間伐

この「縁台なる計画」を行うにあたって私達東鳴子ゆめ会議メンバーは、 3 月まだ雪の残る地元の山に入り、縁台の材料となる杉材を間伐しました。私達自身、その山に入ることは初めてでしたし、間伐や枝打ちも初めての体験でした。そもそも間伐を何故しなければならないということさえもわからなかったのです。

森林組合の方々の協力を得ながら間伐作業を進めているうちに、どうしても機械で出せない木があり、みんなは困ってしまいました。いろいろ考えたあげく隣町から馬(マッゴ)を借りてくることになりました。

馬引きの人とセットでやって来た馬は、機械を使っても出せなかった間伐材を、馬引きの人の合図に合わせうんこらうんこらと見事に出してしまいました。すごい!まさに馬が機械に勝った瞬間でした。

それを見ていた私達は、なるほどだから山の仕事にはいつも馬がいたんだと深く納得するのです。正直これほど馬が頼もしく輝いて見えたことはありませんでした。人間と馬の共同作業にすっかり感心してしまった私達はあらためて、自分たちの知らないことの多さ、捨て去ってしまったことの大きさを感じざるを得ませんでした。

青年の山の現状

今回間伐した山は「青年の山」と呼ばれる山で、 20 数年ほど前林業に情熱を燃やす青年達が町から無償で借り受け植林をした山でした。当時の林業はまだまだ将来性に満ちたものだったのでしょう。彼らが山の手入れをするための拠点とする山小屋も建てられていました。

そんな山への希望は、時代と共にどんどん厳しくなってゆきます。私達が山に入ったときは、すでにこの小屋はつぶれてしまい残骸のような状態でした。山の面積のわりには密集して立っている木々も、やはり手入れはあまりされていないようで、まさに日本の林業の置かれている現状を見る思いでした。

この時は 5 月の縁台で使う杉材数本の間伐と枝打ち作業、植林していたミズキの伐採と皮むき作業をしました。ゆめ会議メンバーはこの時はじめて山に関わり、近くて遠かった山が一気に身近な存在になったのです。

素人職人集団ふんばる!

5 月になり「縁台なる計画」前日、深川の縁台美術家荒野さんは、この日から東鳴子入りして縁台キットの総仕上げを手伝ってくれました。

荒野さんは着くなり、仕事着のオーバーオールに着替え年季の入った自前の道具キットを広げ、やっちゃいましょうと電ノコをブイブイ言わせてます。早速作業現場に案内し、私達が仕上げた縁台キットを見て荒野さんはひと言、もうできてんじゃん!とびっくらたまげてます。

それもその通り、私達ゆめ会議のメンバーは木工に関してはど素人でノコギリもまっすぐにひけないオヤジたちなのです。それが毎晩おのおのの仕事が終わってから三々五々集まっては、 3 月に間伐した木を加工してきました。多少不格好なところはありますが馴れない中みんな一生懸命手がけた仕事です、江戸っ子荒野にその心意気が伝わらないわけはありません。

荒野さんは私達の手がけた素人仕事をよりよくするために、自前の電ノコを使い驚くべき早さで、かっこよく仕上げてゆきます。その晩、男荒野とオヤジ男東鳴子ゆめ会議メンバーがいつものアジト「千両食堂」で飲み交わしたことは言うまでもありません。実は荒野氏は下戸ですぐに真っ赤になってしまったんですけどね。

縁台が足りない!

さあいよいよワークショップ当日です。天気にも恵まれ、会場の東鳴子温泉街の空き地の前には 10 時開始というのに 9 時半くらいから人だかりができています。空き地に敷き詰められたブルーシートの上に私達が手塩にかけて加工した縁台キットがデパート開店時の店員さんのように、皆様をお待ちしておりましたというような感じで整然と並べてあります。

開始時間がどんどん近くなるにつれ、人もどんどん増えてきます。私の中でなんとなくいやな予感がしてきました。どう見ても、私達が必死こいて作り上げた縁台キットは 30 台弱。ワークショップに集まっている人の数は 50 を越えそうな勢いです。これはまずい!なんとかせねば!!新聞などを見て遠くから来ている人もいるようです。こんな時に限って地元のおばさん達も子どもを連れてたくさん来ています。ひょっとすると格安な参加料 1,000 円がきいているのかもしれません。

今回は地元の人は我慢してもらって、町外から来てくれた人や湯治のお客さまを優先すべきかどうか悩んだ末、やはり地元も大切にしなければならないと思い、思い切って抽選をやることにしました。ワークショップに集まった人たちも、自分たちの人数に対してキットの数が少ないのはだんだんきづいたようで、不安げです。私は思いきって言いました。

「みなさん、今日は『縁台なる計画』にたくさんお集まりいただきまして誠にありがとうございました。実は東鳴子ゆめ会議のメンバーは今日のために、夜な夜な頑張って縁台のキットを加工したのですが、ご覧の通り今日ご参加の皆さん全てにゆきわたるくらいの数を作ることができませんでした。誠に申し訳ありませんが、今回は抽選で当たった方のみのご参加とさせていただきます。」

と言い終わるやいなや、参加者がざわざわしだし、殺気立ってくるのがわかりました。せっかく仙台からきたのに・・・とか、なんで?どうゆうこと?などなど様々なご意見が聞こえてきます。うーんこれは絶体絶命か〜!!

ふるさとの山へ

と思った瞬間、突然あることを私は思いついたのです。「みんなをこの木たちが育ったふるさとの山に連れてゆこう!」きっとブルーシートの上に整然と並べてある木材がふるさとの山を間伐したものですと口で説明しても、参加者は頭では理解するかもしれないが、本当の意味はきっとわからずじまいだろう。そのものだけみれば、ホームセンターで売っている木と言われてもわからないだろう。

早速私は旅館の 25 人乗りのバスに飛び乗り、会場前につけて「みなさん!縁台づくりを始める前にちょっとだけこの木たちのふるさとの山にいってみませんか!」と声をかけたところほとんどの人が老いも若きもバスに乗り込み、すぐにバスは満員状態になってしまいました。中には乗り切れない人もでて自家用車で山までついてくる参加者もあったほどです。

目的地の青年の山は温泉街から山手に向かい約 10 分くらいのところにあります。目的地が近くなってきたころ、じーっとバスの窓越しに外の山を見ていた荒野さんが、すみませんちょっと停めてもらえますか!と突然言い出しました。おもむろにバスを路肩に寄せて停車すると、荒野さんはちょっとだけ話させてくださいと、静かではありますが熱く語り始めました。

それは今目の前に見えている山の手入れ状態のことからはじまり、木が密集した山を間伐することにより山が守られること、山は川とつながり海とつながること、などなど山の役割や山と人の関係のことでした。荒野さんが一般の人にもわかりやすく丁寧に説明してくれたおかげで、バスの中の一同は実際の山に入る前にとても大切な知識を得ることができたのです。

思わぬ収穫

舗装された道路から土のでこぼこ道を少し走って、青年の山に到着です。勢いでバスを走らせて来たので、山が近くなってから本当にバスが山に入れるのかどうか不安になってきましたが、無事着くことができほっとしました。

間伐現場の少し前でバスから降りてもらい、せっかく天気もいいので森林浴もしてもらうことにしました。目の早いおばさんは、山に生えている山菜を見つけ早速山菜採りに精を出しています。小さな子どもがちっちゃな蛙を見つけました。一緒にきたおばあさんは、近くにあった草を上手に編んで蛙入れを作って孫にプレゼントし大喜びされています。参加者それぞれ緑の中で本当に気持ちよさそうです。そして口々にこんな近くにこんな山があるとは知らなかったと言うのです。

間伐の現場に着き、皆さんがこれから作る縁台はここで育った木であること、そしてこの山を守るために伐られたことを説明しました。その後、隣接している希望の森では、毎年春に植樹している現場も見てもらい、山が手入れされることにより木がしっかりと育ち、世代交代しながら地球や私達の命を守っていると言うことも説明させていただきました。

いざ縁台づくり

楽しくも勉強になった山見学が終わり会場にもどった参加者は一様に和やかなムードに包まれており、数十分前の殺気だった雰囲気はうそのようでした。私は改めて山を見てもらって良かったと思うと同時に、山の持つ力のすごさに驚いたのです。

山のおかげで、抽選にもれた人も次の機会に優先的に縁台キットを渡すことでスムーズに納得していただけました。参加者の目にも材料の木は、はじめとは全く違うものに映っているに違いありません。

いよいよ縁台づくりの始まりです。参加者を前に荒野さんが縁台に対する思いをひとしきり語ってくれました。「縁台は個人と社会の際です。ウォークマンからインターネットまで、前提条件として人としてのやり取りが大事なのでは!」さすが筋金入りの縁台美術家縁台は言うことが違います。

キットは組み立てるだけまで私達が加工しましたが、それでも紐の結び方一つでいろいろ頭をひねったり、自分なりに紙ヤスリをかけてすべすべにしたりと皆さん自分なりに縁台づくりを楽しんでいる様子です。

町にとけ込む縁台たち

自分の手で組み立てて、仕上げた縁台を早速湯治場の通りに置いてみます。作った人はだれが座るか興味津々です。あっ浴衣を着た湯治のおじいさんと地元のおばちゃんが座りました。作った人はしめしめといった感じでほくそ笑んでいます。だって自分が作った縁台で「縁」が生まれたのですから嬉しいに決まってます。

できた縁台をどんどん町に置いてゆきます。そうすると、通りかかった人がどんどん座って新しい縁が次々と生まれてゆきます。これこそ縁台パワーです。さびしい湯治場街も急にひと気のあるあったかな雰囲気に変わってしまうのです。中には、縁台の縁で地元の農家のおばちゃんから野菜までもらっている参加者もいます。

東鳴子温泉街を突き抜ける道路は以前国道で、交通量が多くとても危険で騒音だらけの道でした。 5 〜 6 年前にバイパスができて、今度はほとんど車が通らなくなり一気に静かになりました。住民の人にとっては静かどころかすっかりさびれてしまったと感じたかもしれません。

ではどうして、湯治場にふさわしい静かで安全でのんびりしたところに変わったと思えなかったのでしょう。それはあまりにも国道時代が長く続いたために、町や道はうるさいものだ、危険なものだ、自分たちには関係ないものだという観念が住民の間に強く植え付けられてしまったのではないかと私は思います。

以前のような交通量の多い環境では、縁台など夢の夢でした。今、こうやって地元の山の恵みをいただき、それを有り難く使わせて頂き、宿や商店や住民、もちろん湯治客が何の垣根もなく一緒になって縁台を作り、そしてそれを町に置くことにより、あたたかみのある縁が生まれる町ができてゆくなんて、本当に素敵なことです。

全ては「縁」でつながってゆく

私達の町は湯治場です。人とのご縁をいただき、生きてゆく町です。今回もいろんなご縁があり、「縁台なる計画」をおこなうことができ、このイベントで人と町が少しでも変わったことはこれからの大きな一歩となりました。

この地で縁台をつくることの背景にはたくさんのことがあります。たとえば山、川、海の地球的環境の循環へ貢献すること、町の景観と機能をはかること、そして何よりも素晴らしい人と人のご縁がうまれる町になってゆくことなどです。こうしたことを胸に、いつ終わるともしれぬ遠大(縁台)なる計画を着々と進めてゆきたいと思います。

5 月のワークショップが終わった後、この縁台は大評判となり参加した人はもちろんのこと、興味がなく参加しなかった人からも縁台の発注がたくさん来て、私達素人縁台職人たちは大忙しでした。数えてみれば約半年で 150 セットほどの縁台キットを製作したことを最後に記します。

皆様もどうぞ、縁台のある湯治場「東鳴子温泉」へお出かけ下さい。温泉で心も体も元気になるだけでなく、きっと良いご縁もできることでしょう。今回「縁台なる計画」に関わってくださった全ての方々のご縁に感謝いたします。

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