9月中旬、サンフランシスコ郊外にある小さな町フェアファックスから一人の日本女性が
当館にやってきました。彼女の名前は羽生礼子さん、フェアファックスで
Elsewhere Galleryというアートギャラリーを営んでおられます。
http://www.elsewhere.com
渡米して30年になる彼女は、3.11に起きた日本の大震災に大きな衝撃を受けました。
日本の海外向け放送から刻々と流れるあまりにも悲惨な被災情報に毎日明け方まで
釘付けとなり、涙を流し続けました。礼子さんは、自分の母国が大変なことになってしまった。
私に何かできることはないだろうかと自問する毎日が続きます。
そんな時、礼子さんのもとに昨年、鳴子温泉に3週間滞在して、湯治文化を体験しながら、
写真とインタビューを通じて古い歴史を持つ町の記録を残すプロジェクト
「Photoji Project(フォトージ・プロジェクト)」を行ったメンバーが、その写真展を開催
できる場所を探している人達がいるという情報が入ります。
礼子さんは、その写真展を自分のギャラリーで開催すると同時に、その場で大変な状況
になっている日本への寄付を集めようと考えました。礼子さんは震災直後、赤十字などを
通じて寄付をしていたそうですが、しだいに顔の見えるところに寄付したいと思うように
なったそうです。
彼女は「Photoji Project(フォトージ・プロジェクト)」を通じて、鳴子のことをはじめて
知りました。プロジェクトのメンバーからは断片的な情報は得ていたものの、なかなか
全体像がつかめない。そこで、東京におられるご両親も見舞いながら、甚大な被害を
被った被災地をこの目で見よう、また顔の見える支援先としての鳴子温泉郷に足を
運んでみようとギャラリーで集まった寄付金を握りしめ急遽来日することになったのです。
*「Photoji Project(フォトージ・プロジェクト)」は
写真家のエリザベス・バーブッシュ、ライターのガブリエル・デラべキア、取材担当
スガワラ ・マキエ、 翻訳家兼コミュニティ・リエゾンのサイトウ・タカハル、写真家
オオトモ・マキによる プロジェクトです。
詳細は下記よりご覧下さい!
http://photojiprojectjapan.blogspot.com/
そのころちょうど、東京の旅行会社リボーンの主宰する被災地ボランティア活動に
参加しているめぐさんが仮設住宅に野菜を届けに女川に行くというので、それに
合わせて礼子さんに来てもらい、一緒に被災地をめぐることにしました。
東京から新幹線で来た礼子さんを古川でピックアップし、被災地を訪れる時は必ず
運転をお願いしている渡部さんの車に乗り込み、めぐさん、礼子さん、私合わせて
4人で女川へと向かいました。
めぐさんは福島にご縁があり、福島の支援をしていたのですが、いろいろとあって
今は宮城県沿岸部の支援に力を入れているようです。
リボーン主催「ライフカフェ」
http://blog.goo.ne.jp/ecotour/e/8b5e671a5f9b6ac027e90cc28e87650
*11/19~のライフカフェも募集中です!
http://reborn-japan.com/domestic/4806
渡部さんは、頻繁に被災地をまわり刻々と変わるその状況を把握しています。
ものおじしない性格なので、被災地で避難している皆さんやそのお世話をしている
方々とすぐに仲良しになり独自のネットワークも築いています。被災地の道すがら、
いろいろと説明をしてくれるので被災地へ向かう者にとっては心強いナビゲーターです。
サンフランシスコから来た礼子さんは、あまり被害のない地域でもショックを受けて、
スマートフォンの動画機能で外の様子を記録していました。私はこれから本当に
悲惨な地域が出てくるので電池の消耗を防ぐ意味でも、まだ録画はしないほうが
良いですよとアドバイスしました。
途中、石巻の野菜を届けてあるお宅に寄って、仮設住宅の戸数分に支援の
野菜を小分けする作業を行いました。配る世帯数がうまく伝わっていなかった
のか、野菜によってかなり数が少なかったりしたので、包丁で半分に切って
分け入れました。
野菜を小分けにして女川へ向かう途中、津波で被害を受けた風景を目にした
礼子さんは、その壮絶な状況に涙を流していました。
そこには震災から半年がたっても、まだ復興のメドすら立たない現実がいま
だ横たわっています。
今回、野菜を配りにいった女川の仮設住宅は20数戸が集まっている比較的
小規模なところです。小規模の仮設村は大規模な仮設村のようなところに
比べるとどうしても支援の手がまわりにくい部分もあるようです。
仮設村のリーダーの方に支援の野菜を配らせてもらうことの許可を得て、
仮設の一戸づつをまわります。こうした野菜など食べ物の支援物資を持って
くる方の中には、集会場にどんと置いて帰ってしまう方もあるようです。善意
は大変にありがたいことだと思いますが、そうしたやり方だと、野菜を各戸に
平等に配るという作業を仮設の方々にやってもらうことになります。
しっかりしたリーダーの元、まとまっている仮設村でしたら問題はないの
ですが、家族、家、全てを流され、そこからまだ立ち直っていない人々が
集まっている状況なので、そうした余裕のないことも多々あります。善意
を最後まで完結させるためには、細心の注意が必要です。
留守のところも数軒ありましたが、帰ったら野菜を渡してもらえるように
お隣さんにお願いしてまわります。ここのリーダーの方の奥さんはとても
気さくな方で、仮設住宅の中に私達を招き入れ中を見せてくれました。
思った以上にモノが多く、狭い空間の中にひしめき合っています。
聞けば、被災した家は建ててから100年も経つ立派な家だったそうです。
それが大津波を受け、土台から離れぷかぷかと流れて来たそうです。
他の家は全て損壊して跡形もない中、奇跡のような話です。流れて来た
家の中から、水に浸かった大事な衣装や人形、お皿などを取り出してきて、
仮設住宅の中に並べているというわけです。私達にとってみれば、なんの
ことはない人形なのですが、本人にとってみれば思い出のたくさんつまった
本当に大事なものです。
野菜を配り終え、リーダーの奥さんから逆に缶コーヒーをいただいて
しまった我々は、タイヤの不具合を治し10/22にまた訪れることを
約束して仮設住宅を後にしました。
最後まで底抜けに明るいリーダーの奥さんと、それとは全く対照的
に物静かな他の仮設の住民の方々が同居する場所でした。皆さん
それぞれ今回の震災では人に言えないような大きな悲しみを背負って
います。礼子さんも是非とも現場に行ってみたいということで、女川を
訪れたわけですが、現場に行かなければ決して伝わらない空気という
ものが確かに感じていたようです。
仮設住宅村には一匹いの猫が住みついていました。おそらく飼い主は
被災しどこに行ったのかわからないのでしょう。無邪気な猫は、人々に
平穏だった懐かしい日常を思い出させる貴重な存在かもしれません。
女川からの帰り道、以前何回かリボーンがライフカフェを行った渡波
小学校に立ち寄りました。この小学校にはたくさんの人が避難して
いましたが、今はほとんどの人が仮設に移ってしまったようです。
ここではオリジナルのグッズを販売して売上げを支援にまわして
いるようで、礼子さんは自分のサンフランシスコのギャラリーにも
支援グッズを置けないかなどスタッフの方といろいろ話をされていたようです。
この後、鳴子温泉郷の旅館大沼に戻り、礼子さんを囲んで食事を
しながらいろいろと語り合いました。今日見てきた被災地のこと、
これからの支援のこと・・・。
細くても長く続く支援をしてゆきたいという礼子さんの思いが強く印象に
残っています。
翌日、鳴子がはじめての礼子さんを連れて、潟沼、鳴子峡など
鳴子周辺をいろいろとご案内しました。途中から、photoji project
にも関わっていた仙台のタカハルさんにも鬼首の地獄谷などを案内
してもらい鳴子の見聞を深めてもらいました。タカハルさんと礼子さんは
バイリンガルです。話を英語でしたのか日本語でしたのかは聞くのを忘れました。
礼子さんが鳴子から帰られ、ほどなくメールをいただきました。
「今回の鳴子への旅は忘れないでしょう。そして、これがこれからの鳴子への
旅の始まりと”鳴子”とを願っています。」
アメリカに30年以上も住まわれているのに、シャレが効いて驚きました。
礼子さんはウィットに富んだとてもセンスの良い方です。やはり感性を扱う
アートギャラリーのオーナーだけあります。
最後にフェアファックスのElsewhere Galleryで行うイベントの告知を
官報に掲載して下さった在サンフランシスコ日本国総領事館の東野徹男様
に感謝いたします。
東野様はphotoji のスタッフがリリースした日本語のフリーペーパーの記事を見て
エキシビジョンに参加されたそうです。鳴子のお近くに住んだこともあるそうで、
礼子さんも驚いておられました。
http://www.sf.us.emb-japan.go.jp/archives/PR/2011/pr_11_0317_event.htm
この出会いが、サンフランシスコと日本をつなぐ小さな復興の架け橋になり、
細くも長く続き、小さな輪から日本の復興につながってゆくことを願っています。
礼子さん、またお目にかかれるのを楽しみにしています!